
おうさまなんばんだいこくこがね(タイ)→川崎蒸気晋
- 2005/08/13(土) |
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■館山 千葉

土地の人も経験がないという、酷い残暑が続いている日曜の昼間。海岸から少し入った、曲がりくねった細道を、妻の父親が運転する乗用車がドアを竹の葉で擦られながら上っていく。対向車も人も犬猫も見かけない。
車を停めた場所は、大ざっぱに整地されて墓地の端の二区画分程になっている。境内はあまり緑がなく、本堂の鼻先まで墓が迫っている。全体が古代の天日レンガ干し場のような具合で、日差しからの逃げ場が殆ど無い。他に人影が無い。本堂の正面の戸が、赤ん坊の肩幅ほど開けられたままになっていて、口を開けて居眠りしている門番のようだ。
隣棟の古びてどことなく傾いでいる住居にも動くものの気配はない。住職の老夫婦は毎日市営博物館に出かけていっている。そこの受付や掃除の仕事をやって生計を立てている。と義父が説明する。
彼の祖父だかその父だかが仏教学校を出たものの、たいした職にもありつけないで、ちょうど跡継ぎの無かったこの貧弱な寺に養子に入った。寺が盛り立てられるように尽力したのか職務の余禄か、それとももうそんなところしか墓を立てる場所がなかったからか、本堂のすぐ脇の広めの区画がこの寺の何代か前の住職である妻の祖先の墓になっていた。
義父に言われるままに、何カ所か他の墓の前にも線香を立てていく。左手に持った数十本の線香から時折炎が上がる。吹き消すのに思いのほか強い息を吐き出さなくてはならない。江戸時代の、大津波の被害者たちのものだという墓石には薄い合成樹脂で蓮の花を象った容れ物に詰まった砂糖が無造作に立てかけられている。重みで下に溜まっていき上の方は空になっていて内側に細かい水滴が見える。壁にもたれかかっている太った酔っぱらいの姿を連想させる。
参る人が途絶えてからとても長い時間が過ぎ、墓碑銘が判読できたところで、それを鍵にして呼び覚まされるべき記憶そのものも、もうどこにも語り継がれてはいない多くの墓石が一カ所に集められて、縦横も表裏も構わず、埋め立て工事の資材置場のように積み上げられている。
本堂の戸口に立つと精巧な録音で御鈴を叩く音が響く。少し開けた状態で戸は固定されて賽銭を投げ入れる事だけはできるようにしてある。最後にもう一度、妻の祖先の墓に掌を合わせて車に戻ろうとして、隣のコンクリートブロックを二段積んで塀にした区画に気がつく。ブロック塀の陰に、ブリキバケツがある。半分位入った水面に、トカゲの死体が浮かんでいる。褪せた銀色の表面は乾いているが、腹の辺りは膨らみ始めている。
その後、立ち寄った妻の母方の墓地にも人の姿がなかった。乾ききったさらさらした地面に細かい貝殻の破片が白く混じっている。すぐ隣に、入定(即身成仏:自己の意思でミイラ仏になること)した僧の円墳がさびれてあった。ポール・ヴァレリーの『海辺の墓地』をフランス語の授業で読んだことがあったのを思い出した。
■飛騨金山 岐阜
前日、高山線の飛騨金山のすぐ手前の白川口という小さな駅で降りた。駅の少し下流で鮎漁の盛んな2つの川が合流しているのだった。歩行者専用の古い橋を渡っていくとき、地元の女子中学生の集団と行きちがった。
「こんばんわ、こんばんわ、こんばんわ」
女学生たち全員から礼儀正しく挨拶された。不意を打たれて思わず返事はしたものの、良く訓練されたなにか無機質な応答に、山奥の隠れ里に伝わる他所者をめぐる怪談の導入部に立ち会ってるような気がして、日影丈吉の『猫の泉』を思い浮かべた。
橋を渡ってすぐのこじんまりとした家族経営の旅館は、その夜は僕らの他には客がいなかった。泊まった部屋から自分たちが渡って来たクラシックな橋がライト・アップされ、飾り電球も点いているのを見ることが出来た。
夜半から 雷を伴うもの凄い集中豪雨になって、雨漏りがあったり、ときどき電気が消えかけたりした。翌朝は、大きい浴場が豪雨でボイラーのなにかが壊れたとかで、部屋の風呂を使うことになった。早朝から小さな町をパトロール・カーが走り回り、ヘリコプターも飛んでずいぶん騒々しいことだと思っていたら、旅館の女主人が「行方不明があって捜索してる」と言った。急な出水で筏(いかだ)網だかを回収しておこうとして川に降りた漁業の父子が流されて死亡したという記事が翌日の地方新聞に載った。
祖母は若い未亡人時代を飛騨金山で過ごした。町並みを見下ろす山の斜面にある墓地の一区画を、彼女はいつの頃か自費で購入して代々の墓石を全部そこに集めていた。
この墓参の二年後の夏には、祖母もその墓碑銘に仲間入りした。
1994年 夏
- 2005/08/06(土) |
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今年6月のアップルのWWDC(World Wide Developer's Conference)で、開催前から騒ぎの種になっていた「Macがインテル製プロセッサを採用する」という噂に対して、スティーブ・ジョブズが「それは本当だ(It's true!)」と宣言したときのスクリーン。
綴りの最後の "e" を少し下げて置いただけなのだが、後ろの "!" と一緒になって、誰もが幾度となく見(飽き)ている "intel" のロゴをイメージする。
こんな最大の効果があるデザインを、小文字を一つ少しずらしただけという、最小の(さらに半分位の)工夫で実現している。
歌舞伎で、奥に消えた女形が再び舞台に現れたときに、帯の結び方が違っていることで「濡れ場」を表現するのを思い出した。
- 2005/08/04(木) |
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